命の儚さと"生きる"ということ。

私事ですが、

年が明けてすぐに

九州の実家の祖母が危篤となり、

その後すぐに亡くなりました。

 

97歳でした。

 

祖母は、私が幼い頃から

よくお世話してくれた優しい祖母で、

成人してからは色々あったものの

帰省した際はいつもにこやかに

娘たち曾孫も可愛がってくれました。

 

90を過ぎても、元気に
よく動き、よく食べ、よくお話する
祖母でしたが、認知症が出て進行するにつれ
段々、私たち孫や曾孫も誰か
分からなくなってしまいました。

年に1度しか顔を見れない上に
コロナで2年ほど全く帰省も出来ず、
身体も少しずつ弱り入退院を繰り返す祖母を
日々介護する母の負担も心配していました。

 

1年前の年末年始に
家族全員が集まれた際は、
周りが誰か分からないながらも
家族に囲まれて楽しそうに
笑っていた祖母でしたが、
その後はやはり体調もすぐれず

今年のお正月を迎えてすぐに
危篤の知らせを受けました。

試験の迫った受験生2人を抱えた私を
心配した母は、
心の準備と葬儀のための
準備をしておけと言い、
気が気じゃない、長い長い1日が
1日、2日と経ち、お正月休みが終わった頃、
亡くなった知らせを受けました。

 

看病疲れもあり
心身ともに限界がきた母は、
身体を壊して、祖母の最後の最後を
看取ることはできず倒れこんでしまいました。

 

お通夜~お葬式、その後の儀が
全て無事に終了しましたが、
小学生のときに初めて祖父のお葬式を
経験したとき以来の身近な身内の不幸で、
私にとっては、成人して初めて
"しっかり"体験した葬儀でした。

悲しさや寂しさ、
後悔や感謝、様々な思いが溢れた
数日間でした。

 

祖母のことに関しては
以前から心の準備はしていましたが、
人の"死"というものを目の当たりにし、
人間の"命の儚さ"を知って、理解して、
はじめて人は"大事に生きる"、
"生きよう"とするのだと分かった気がします。

 

言葉や頭では
当たり前に分かったつもりでも、
人は、"生きている"と意識して
1日1日を大切に過ごしている意識は
あまりありません。

 

今回の祖母の死で、
私は人間の生死についてや
残された家族のこと、
これからのこと、
そして自分がどう生きていこうかと考え、
人生の先輩方である親戚から
たくさん学ばせていただきました。

 

今回のことを
悲しい年のスタートとするのではなく、
気持ちを引き締め、
しっかり前を向いて過ごしていく
ファーストステップにしたいと思います。

 

いつもご理解と温かく
支えていただいてくださる皆様、
ありがとうございます😌

今年もどうぞ宜しくお願いいたします️

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